ニコンミュージアム企画展「ニコン双眼鏡100年の歴史」を見てきた2
2018-07-08


接眼部の遮光ゴムは流石に経年劣化しています。

蓋に銘板が入っているのでクローズアップしてみましょう。

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銘板には「九七式十二糎双眼望遠鏡」と書かれており、旧軍の97式とは零式艦上戦闘機の0式と同じように、皇紀表示(皇紀2597年)なので、西暦に変換すると1937年となり、この双眼鏡が1937年に正式化されたものとわかります。
その下の305は恐らく製造番号、更に下には19年、10月と読める表記があり、これが製造年月かもしれません。
昭和19年(1944年)10月製造だとすると、太平洋戦争も泥沼化した時期の製造に当たります。

旧海軍の潜水艦は、撃沈されたものが大半で、終戦時に生き残ったものも、連合軍によって処分、または戦後賠償として他国に引き渡されたりして、現存するものはなく、この双眼望遠鏡は大変貴重なものです。
よくぞひっそり保管しておいてくれました。感謝感激です。

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もう次の公開はいつになるかわかりません。ぜひともこの貴重な双眼鏡を生で見てください。


ここからは1950年代以降の双眼鏡を。
50年代に入ると、戦後の混乱期から、朝鮮戦争の戦争特需により、日本の景気も少しづつ良くなります。

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左下には、おなじみのMIKRONがありますが、その他の中型の双眼鏡も、ここにあるように、一部はMIKRONを名乗っていたようで、ちょっと混乱します。
逆に言うと、それほどNikonにおける双眼鏡のMIKRONという名前は価値があったのでしょうね。


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上は1960年代から70年代の双眼鏡です。
この時代になると、高度経済成長に伴い、一般ユーザー向けの双眼鏡も多く出回るようになりました。
デザインも、従来の双眼鏡然した黒いものだけでなく、シルバーなどまだ色合いは地味ですが、従来のイメージにはない商品も出回り始めました。同時に、ダハミラーを使用し、光路を一直線とした幅の狭いコンパクトな双眼鏡も70年代に登場しています。

さて、今回はここまで。
次回はバブル期に突入する80年代以降の双眼鏡を紹介します。



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